ストーリー  

株式会社青林
青木昭浩 植林・伐採

協同組合の設立の経緯を教えてください。

2019年は百年の森林事業を10年やってきた節目だった。だが、一番に言えることはとにかく各社まとまりがない。めいめいが一生懸命やってるけど、素材生産、製材、ほかにもいろんな業者がありながら一連の流れが出来ていない。僕の心にあったのは、折角皆一生懸命事業をやっているのに、こんなにバラバラでもったいないやと。これを一連の流れにできたらすごい馬力になるんじゃないかと思ったわけですよ。その思いをきっかけにして協同組合の発想にたどり着いた。

このwebサイトを見ているデザイナーさんや建築家さんに何を伝えたいですか?

正直なところ、西粟倉の木材は名だたる林業地のような美しい材がとれるわけではないです。でも、僕らは誰よりも熱い思いをもって、林業に取り組んでいます。だから、西粟倉の材だから使いたいんですよ、というお客さんがいたら、そういう人たちにちゃんと自分たちの木材を届けられるようにしたいですね。そして、とにかくもっともっと西粟倉の知名度を上げて有名にしていけたら嬉しい。

西粟倉の材を使ってもらうことでこの業界の維持繁栄はもちろんのこと、村としての維持発展も見据えられますね。

もちろんです、最終目標はそこです。村長とも話をするのですが、今人口維持が出来ているのも百年の森林構想があるからできている。この流れは絶対止めたくない、むしろ加速させたいって思ってます。それを担うのが協同組合なんです。責任もすごく重大で、でもその責任を担う覚悟はある。そういう役割を果たしていきたい。

将来、村の林業にどうなっていてほしいですか?

林業を礎としてさらにその高みを目指したい。育ててもらった村で、郷土愛は強い方だと思うんで、やっぱり最終形態はそこですよね。
林業機械を集めたイベントをやったりするんですけど、正直大変です。でもそれは何かって言ったら村内に向けての発信なんですよ。この10年間やってきて「百年の森林構想ってなんなん」っていまだに言われるんですよね。今まで10年頑張ってきました、でも反省点もいっぱいあります、これを活かした上で今後の10年間やらせてくださいって。だって村内の方が所有者じゃないですか、地元の協力というか理解も絶対不可欠なんです。
山を本当に大好きなお年寄りの方々は、今のやり方と違うじゃないですか。自分で道を入れて小さな林内車持ってきて木を積んで持っていけば、ぽん、とお金になる時代だったから、原木単価が違いすぎて理解が追い付かない。
でも僕らとしては数を出さないことには施業が成り立たないし、その一方で山を傷つけるわけにはいかない。僕ら素材生産の仕事がなくなればそれより川下の業者も成り立たないわけですよ。だからスタンスとしてはすごく難しいところです。

林業を全く知らない方に向けて、林業者としてこれだけは大事にしているというのがあれば教えてください。

やっぱり所有者とのつながりは絶対違えてはならんと。そのために人によっては山に来て仕上がりを見てもらったりもする。傷が入ってしまっても、細心の注意を払ってやっているんだということをあえて見せて理解を求める。西粟倉の百年の森林事業は株式会社百森が検査をやっていますがほんとに厳しくて、ほかの地域とレベルが違うんですよ。手間をすごくかけているんです。でもやります僕らは。それを出来ないって言ってしまえばそこで終わっちゃうんでね。

大変なこといっぱいあると思いますが、どうしてやるのでしょうか?

言い出しっぺだったからというのもあるけど、選択肢がほかにないって言った方が正直かな。10年目の節目が重なったときに株式会社百森ができて、なんかいけるんじゃないかと。各業者とも話をして、今まで年数をやってきた中である程度熟した部分もあるので、タイミングはばっちりだったと思います。だからほかの理事には申し訳ないんだけど、報酬がどうとかではなく協同組合、西粟倉を持ち上げたいという思いでやっています。

今12社さん集まっていますが、みなさん二つ返事で入ってくれたんですか?

いや、色々ありましたよ。僕ら素材生産の業者だけでもライバル意識もあるしまとまりがなかったので。でも素材生産がまとまらんのにほかの製材業者とかまとまれって言ったって無理じゃないですか。今まで会ったことのない業者同士を会わせて、そこを仲良くさせる必要があった。結構しんどかったですね。

この協同組合では、地元の方が昔から経営している企業もあればIターン者が数年前に作ったばかりの会社もある。その懐の深さって何でなんでしょう。

西粟倉ってのは、受け入れ態勢が出来ているというか、人情的で変な壁を作らない、という村民性がある。でもその反面、例えば村で不祥事が起きたりこいつは違うなと思ったら、今度は食いついていくんですよ。でも僕は、それは大いにやればいいんじゃないかと思ってます。来てくださいという受け入れ態勢をとりつつもやっぱり譲れないところは譲れない。村を汚すようなことするんだったら堪えんぞっていうのは持っとくべきだと思います、地元愛としてね。よくIターンの人とも話をしますけど、冗談じゃなく彼らIターン者にたくさん助けてもらっていると、本当に思います。

最後に

西粟倉百年の森林協同組合の名前っていうのは、あくまでも看板の名前で、僕の中では「チーム西粟倉」なんです。だから誰が上とか下とかなくて、一丸となって何かの結果を残そうやという思いがあるだけです。もともと西粟倉というのはチャレンジする村なので、協同組合もそこに沿って結果を残したいなと思ってます。